パノラマロジック

オタク怪文書

ロキノン風にOCDツアー初日の感想を書いてみたよ

その手が何度振り払われても ーOLDCODEX A Silent, within The Roarツアー初日のアクトからー

四つ打ちのキックが焦燥感を高めていく。ハンドクラップが鳴り響き熱を帯びていくフロア。狂乱の渦の中、一筋のピンスポットライトがステージの中央のフロントマンを映し出す。無機質の響きを多重に重ねたエフェクターボイスは、荘厳な宗教音楽のよう。エレクトロの神がかり的な高揚感に身を委ねていると、途端に、攻撃的なバンドサウンドが横殴りで押し寄せてくる。ステージの上の暗闇の中には燦然と輝く"A Silent, within The Roar"(轟音の中の静寂)の文字。

ツアータイトルにもなっている最新アルバム"A Silent, within The Roar"9曲目、このoptimistic negative thingsは、高揚感のある四つ打ちのデジタルサウンドの美しさと、轟音のバンドサウンドの暴力性が折り重なる、キメラのような怪曲だ。激しさと美しい静謐が隣り合う様は、まさにこのアルバムそのものを体現している。

YORKE.の生み出す彩色が暗闇を塗りつぶし、ツアータイトルの文字が光りを放つ中、その後光を背負って静かにTa_2はステージに佇む。

そこは激しさと静寂の相反する世界の境界。せめぎ合いの、その中に彼はいた。

 

OLDCODEXのボーカルのTa_2には、声優として押しも押されぬ人気を誇る鈴木達央としての顔がある。彼の声優としての仕事ぶりは、徹底的に役者の存在を消してひたむきにキャラクターに徹しようとするものだ。一方、OLDCODEXとしての活動は、楽曲やアートワーク、バンドとしてのアティチュードすべてにおいて、彼という存在を前面に押し出していく。声優とバンド、その両輪はどちらも欠けてはならないと彼は言う。どちらも両立させることで得るものもあるだろうが、反面、批判に晒されることも多いだろう。しかし、彼は2つの世界を行き来することをやめない。相反する2つの世界の狭間が彼の居場所なのかもしれない。

続いて演奏されたのはHow Affectionoptimistic negative thingsの轟音が軽いジャブだったと思わせるほどに、より切迫感を持った重低音が鳴り始め、そこに積載量オーバーの感情を載せた、Ta_2の歌声が拮抗していく。

まだ降り注がないだろう

まだ降り注がないんだ

僕のどこでもない場所に

その歌声は音源よりも遥かに湿度が高い。それはYORKE.が音に彩色していき、Ta_2がそこに感情を力をこめてぶつけていくからだろう。二人が何かを生み出すことで、喪失感が一段と濃い色に変わってゆく様は実に不思議だった。フロアを埋めるオーディエンスは先ほどまでの熱気を忘れてじっとそれが生み出されていく様を眺めていた。こんなにも多くの人々に愛されている癖に、彼は喪失を歌う。それは、彼にとっていくら手を伸ばしたとしても届かない禍々しい色をした宝物のようだった。

 

重低音に引きずられて地の底へ落ちていくような感覚から一転、次の曲、[Blue]では深海からゆっくりと水面へと引き揚げられるような高揚感があった。ブルーのライトに照らされて歌声がフロアをたゆたう。その流れで、OCDの楽曲の中でも極めて「静謐さ」を体現しているElephant overが演奏された。

正直、ここまでの流れには驚かされた。OLDCODEXといえば、インスタントにフロアを温めることが出来るタテ乗りの楽曲がメインだという印象がある。しかし、optimistic negative things以降のここまでの流れは、それバンドが持つ多面性のひとつにすぎなかったということを否応無く見せつけてくるものだった。アルバム名に冠された「静謐と轟音」、その相反する二つの隣り合わせはバンド自体を現しているのだと気づく。

そして、再び最新アルバムから、wire choirへ。過去の、恐らくはメインコンポーザーがバンド内にいた頃の楽曲を意識して作られたこの曲は、確かに過去の楽曲の面影を感じることができる。しかし、それを奏でているのはあくまでも現在の姿のOCDである。それが逆説的に、過去との訣別とも見てとれるのだ。バンドの核である二面性を見せつけてきた後で、最後に過去を自分達の手で塗り替えようとする。それは、バンドが前進していく上でのイニシエーションのように見えた。

 

optimistic negative thingsでの狂乱が何だったのかと思えるほどに、静まり返るフロアに、Ta_2は告げる。

「アルバムを出した時から考えてたんだけど、こういう時間もちょっと作ってみたかった」

普段の彼らのライブのスタイルからすれば、クールダウンの時間がいつもより長い程度にしか捉えられないような流れである。それを敢えて、確信的にやってのけたのだ。観客を置き去りにする、裏切りになる可能性もあるだろう。けれども、彼には始めから、この静かなフロアの光景が描かれていたのだ。それを思うと、フロントマンとしてのTa_2のいじらしさに愛しさがこみ上げてくる。

愛される要素はすべて手の中にあるのに、その手を無邪気に振り回しているようだ。静謐と轟音、どちらかひとつに依ることができれば、それを貫きとおすことで自分達と観客の蜜月の関係を守っていけるのに。相反する2つの事象を自由に行き来することで、彼はそれを追う人の目を敢えて眩ませている。どちらも受け入れられなくて当然だ、受け入れられないなら来なくていいよ、と彼を愛する人たちから差し伸べられた手をいくつ振りほどいてきたのだろう。その姿勢は、残念ながらこの日演奏されなかった「美しい背骨」に見てとれる。

 後悔するのは楽でしょう

 傷つきたくないだけでしょう

 僕ら本当にそれでいいのかな?

    Please leave me alone...

効果的なハンドクラップの多用や、フロア仕様のコールアンドレスポンスなど、OLDCODEXの楽曲はライブでフロアとの一体感が生まれるギミックが施されているものが多いにも関わらず、一方でこうも聴いてるこちらを突き放してくる。

この日も、本編ラストはエバーグリーンな疾走感とコールアンドレスポンスが気持ち良いLandscapeで終了した。まったく、愛されたいのか、愛されたくないのかよくわからない。どっちなんだあんたは。しかし、相反する気持ちを抱え自己矛盾に陥りながらも歩みを止める気配のない彼に、一層ついていきたくなる。突き放されれば突き放されただけ、逆に追いかけたくなるのが人間の性というものである。だから私は、これからもOLDCODEXとしてのTa_2を追いかけることを止めない。

相反する2つの世界、そのどちらかに落ち着くなんて、退屈なことはしなくていい。

 

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ロキノンが大好きすぎた90年代を取り戻すべく、あの頃のロキノンをわざわざ友人に借りて読んでるうちに、今ならこのくらい自分も書けるのでは…?と思って軽い気持ちで書いてみました。が、書いてみたら超難しいね?こんなの私が好きだったロキノンじゃない!ってなんども挫折しました。好きなキャラのイラストを描いてみたら、こんなの私の好きな◯◯じゃない!って放り投げたくなるあれですね。

おるどこでっくすさんのツアー初日に行ったのですが、optimistic negative thingsからの流れがちょっと大好きすぎました。もうすぐ福岡楽しみ。