パノラマロジック

オタク怪文書

短歌結社「明星」でアイドルの短歌を詠んでみたよ。


先週の夏コミの帰りに集まって馬刺しを食べていたときになんとなく「やろうよやろうよ!」となって作られたのがこの短歌結社「明星」でした。
周囲で短歌を詠んでいる人が結構いて、詠めたら楽しいだろうな、と思ってはいたけど詠もうとすると、あまりに難しい!と思って手が出せなかった短歌。苦手意識から、もしこれがTwitterの上だけで参加を募っていたら参加していなかったかもしれなかった。やろうよやろうよ!というその場に居合わせたのが幸運でした。

短歌って出来上がった作品はとても面白いんだけど、なんでみんながこの言葉がチョイスするのか、ぱっと読んでてわからない(=作り方がわからない)し、この31文字って枷がどうも文字数少なすぎて、自分にはむり…と思っていたのですが、この日の馬刺を食べながら主宰のこみねさんに

「なんで短歌を詠むの?」

と聞いたら

「好きなものをもっと美しく自分の手で切り取りたくて詠んでます」

と返ってきました。

「あー、なんか趣味の手芸みたいな感じですかね?」
「まあそんな感じです」

そんなやりとりがあって、この言葉に勇気づけられて作ることができました。

(やりとりは超ニュアンスなので間違ってたらすみません)

実は手芸用品店の前を通るたびに、そのうちすごくすごく暇になったら刺繍とか編み物でもやろうかな……って思ってたんです。別に取り立てて手芸がすごい好きってわけじゃないんですけど、女子ならだいたいみんな小学生のときにリリアンとかやると思うんですよ。あれは今思えば超単純作業で簡単なんだけど、どんな糸の色にすればいいか、どんなビーズを使えばいいか工夫して自分もなりにかわいい腕輪なんかを作ることが出来るのです。

で、なんとなく最近リリアンみたいなものをせっせと作りたいなと思っていたのです。そこに短歌でした。

31文字のリズムにのせて自分が一番なっとくがいく美しい、かわいい言葉を選んでのせていく。自分が思った美しさやかわいさでいいらしい。リリアン程度の、何の役にも立たない腕輪でいいから、好きなものをよりかわいく美しく切り取る。
という軽い気持ちで初めて短歌を詠むことができて、楽しかったです。こみねさん、講評ありがとうございました。
私が詠んだのはこれ。
ステージの上もLINEのアイコンも等価値に在る18の顔
玉座にも十字架にもなるバミテのうえ前だけ向いて立てる才能
無邪気さをセロハンでくるみ飾りつけこれが僕だという頃も過ぎ
勝利くんのすごさはあれだけ色々なものを背負わされがちなポジションに立たされてるのに至って普通の男子なんだというところだと思ってるので、それを詠んだのが上の2つ。センターというポジションの物語性はセクゾンに関してだけはなくてもいいね、そんなのバミテ貼ってある場所でしかないけど、いろいろな想いがうずまくその場所にこともなげにまっすぐ前向きに立ってる勝利くんは素晴らしいな、という気持ちです。

3つ目は、半分くらい妄想で、子供特有の無邪気さを誕生日パーティーのてづくりの飾りつけのように晒して自分の個性とする年齢から勝利くんはきっともう卒業してるんだろうな、という歌でした。
詠んでみて思ったのですが、私はナウオンタイムな佐藤勝利像がないことに気づいた…。


今回の講評ブログを楽しく読ませていただきました。
同じお題でさまざまな視点が得られるのがこういう歌会の楽しさだなと。私が特に好きなのはこちら。
踏み出した素足が赤に染まっても  振り向かないで今はそのまま
センターとかそういう仰々しい物語は勝利くんにふさわしくない……とか散々書いてきたくせにこの歌が作ってる避けられない運命とそこに逃げないで対峙すること、それを願う詠み手の切実さには撃たれるものがあります、こういうの、やっぱり勝利くんの向こう側にどうしても見出したくなる。というか、客席にいるこちら側として逃げる姿なんて見たくないから「振り向かないで今はそのまま」と言ってしまうよね。
ラブアンドピースでチョキを出したんだ そっちがパーを選んだんでしょ
鏡よ鏡 誰が一番綺麗なの?それってそんなに大事なの?ふうん
この2首は、勝利君の小生意気な感じの口調がそのまま現れてる感じですきでした。勝利君は自分の顔の美しさなんかすごくどうでもいいっていう強さがある。軽やかに強くて飄々としたところがこの2首にとても現れていて好きです。

次回のお題はジャニーズJr.ということで、ガムシャラがめっちゃ楽しかった身としてはほんとにタイムリー。がんばります。