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BE:FIRST 「Scream」レビュー 「その声」は誰のためもの?

あるべきところにピースがハマってるScream

BE:FIRST「Scream」やっぱり最高なんだよな。

配信前にツイートされてた「最高が何なのか証明しよう」の超絶上から目線のキャッチコピーに、もうそういうSKY-HIというかBMSGしぐさ、食傷気味だわ……と思っていたけど、聴いてみたら本当に最高が証明されてしまっていたので頭を抱えた。


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フジロック、ロッキン、サマソニと夏フェスシーズンを駆け抜けて8月末のアルバムリリースというゴールテープを最高の形で切るために用意された踊れるロック。最適解。

MVを見ているとBE:FIRSTひとりひとりを、誰も無駄遣いしてない。みんながあるべきところでそれぞれの魅力を発揮していて、複雑なパズルをぴったり組み合わせた構造の美みたいなものを感じる。

ソウタくんセンターで、三連のドラムと呼応する躍動的な彼のヒットから始まる時点でBE:FIRSTっぽいと思う。BE:FIRSTの特殊性ってやっぱダンスアスリートの経歴を持つソウタくんの存在にあると思っていて、あのえげつない身体能力がチーム全体のダンスの実力を引っ張り上げている気がしてならない。

ここ最近の曲はサビ担当のイメージが強かったジュノンが「想像も予想も不可能」のラップ的なパートを担っているのも衝撃だった。そしてめちゃくちゃかっこよくなっていた。Betrayal Gameのときは他のメンバーのラップパートに比べるとちょっと弱々しさを感じていたけど、そんなのを忘れさせるほど攻撃的。あんたのどっからそんな攻撃性出てくるん?っていう。そのうち、物静かなシリアルキラーみたいな役を演技仕事でやってほしい。

リュウヘイとレオが楽曲の緩急の”緩”部分をばっちり握っていて、リョウキのいい意味での演出過剰さが「エイリアンさ」の高笑いで遺憾無く発揮されて、アクセントをつける。もはや安打製造機みたいな存在でプリフックやってる印象が強かったマナトが2回もサビ担当していて「最高が何なのか証明しよう」というフレーズがフカしに聞こえない納得感を与えている。

そして最後のシュントがまさに「Scream」の権化みたいになってるじゃないですか。

もともと歌い方がめちゃくちゃかっこいいんだけど、楽曲がもつ不遜さと相まって鋭さマシマシで、普段そんなふうに見えないけど自分が世界で一番だって確信してないと出せない空気ある。

かっこいいを真正面からやるいなたさ

私がこの曲で地味に好きなのは「お前が振りむいた所にもう俺はいない」をレオくんが歌うところなんですけど。

「お前が振りむいた所にもう俺はいない」って「お前はもう死んでいる」的なおかしみを感じませんか。少年漫画的な突拍子もない熱さとおかしみ。

レオくんの歌唱の、言葉の聞き取りやすさ。そしてレオくんの「スタジオに紛れ込んだカエルをわざわざスタジオの外まで連れていって外に返してやる」ような少年的な無垢さが、この歌詞に激しくハマってると思う。

よく考えれば「最高が何なのか証明しよう」も噛み砕くと意味がわからない。

証明とは”ある事柄・命題が真である(事実と違わない)ことを明らかにすること。”なので、正しくは「最高であることを証明しよう」になる。「何なのかを証明する」このフレーズって実は狙って頭が悪い。

この少年漫画感はつまりtohjiとかの「俺は子供の頃からずっと天才でいる」とかそういうパンチラインと同じ方向を向いてるのかもかもしれないけど、頭の悪さと無鉄砲さが、噛み砕いていかないと現れてこないところがなんだかSKY-HIって気がする。

「最高が何なのか証明しよう」とかいうフレーズは無駄にケンカを売ってるようで好きじゃないなあと最初は思ったんだけど、そういうのを「いやなにおい」として嗅ぎ分けるような、自分みたいなうるせーオタクは最初から相手にされてないんだろうなと今回も思った。たくさんのロックフェスに出して、誰かの「初めてハマったアイドル」にさせたいのだと思う。

何かに初めてハマる人の「初めて」になるには、今までのそのジャンルと違う特殊な部分がないといけない。

BE:FIRSTが他のボーイズグループと違うところがあるとすれば、かっこいいことを真正面からやる"いなたさ"だと思う。

洒脱とか抜け感とか余白の美とか、一周回っていいよねとか、そういうのと真逆の「かっこいいことを直球でやる」から逃げない。なので、逆に「いなたい」「妙に小ダサい」もつきまとう。アイドルオタクの間では狙ってやったダサさがもてはやされまくるのでこれがやっぱオタクと相性悪いように感じる。

冷静になんてさせない

SKY-HIって確か昔のインタビューで「何周かまわって、やっぱり応援するってカルチャーを殺すよね”って結論に至った」と話していたり(出典不明ですみません)、とにかく”狂信的なリスナー”というのを嫌っていたような気がしたんだけど、その人がボーイズグループをやり「冷静になんてさせない」とファンに向かって歌わせるところが面白い。

冷静じゃなくていいのか…と。

完全に想像だけど、狂信的なファンたちがファンダムとしての活動を頑張るあまりに、正当なかっこよさや実力のある人たちに陽をあてさせなかったことを「カルチャーを殺す」と考えていたならば、BE:FIRSTが観客に向かって歌う「冷静になんてさせない」はSKY-HIによるファンダムハックの勝利宣言にも聞こえる。自分がかっこいいと信じるものをつくりあげて、それで狂信を生み出しているのだから。

忌み嫌っていたシステムに入り込んで、最終的にハッキングする側にまで回ったとか、なんかそういう漫画のキャラいそう。

Screamを聴いていて一番引っ掛かるのが、シュントが歌う「心も、その声も君のためのもの」だ。


Screamはライブで観客を熱狂させる自分たちの姿を歌う(だからこそライブでめっちゃ聞きたい)曲で、徹頭徹尾じぶんたちがどうすごいかについて自己言及しかしてない。

なので「心もその声も君のためのもの」というフレーズには、私たちを”連れ去りにきたエイリアン”が実は私たちに心も声も捧げている…?という錯覚をおぼえてしまう。

まあたぶん誤読です。わたしはひと月前まで月額5千円課金していた従順なBMSGのファンなので、BMSGの由来である「ビーマイセルフ」という教義になぞらえば、「自分自身であること」をアーティストにもファンにも求めているので、このフレーズは「叫べ、その声も心も君自身のものだ」とファンに語りかけているのだと思います。

しかし、そんな真面目な解釈にはあんまり興味がない。この本を読んでいた影響もあるのですが。

 

第8章に「少女⭐︎歌劇 レヴュースタァライト」を通した中村香住さんによるファンと演者の相互性の論考がある。

ファンは演者側のパーソナリティを消費するという立場で、ファンと演者の関係は非対称だ。さらに彼らの興行にお金を払い報酬を与えるという権力構造まである。そしてファンと演者が揃って初めてステージが成り立ち、そこには互いの相互作用がある…と、すごく雑に書いたがそんな話をしていた。

BE:FIRSTもファンがいなければ、その存在は現れない。こと、BMSGは「日本を獲った」とか「世界にいく」だとかそんな表現が好きで、それだけの評価を得るためには、今日の音楽マーケットで熱狂的なファンダムの存在は無視できない。SKY-HIが再生回数などの明確な目標を口にする時もあるので、そのつど勤勉なファンたちは彼らの夢を叶えようと、再生回数を回していく。

そうしたことを考えているとやっぱりどうしても「(僕たちの)心もその声も君(ファン)のためのもの」と歌われているような気がして仕方ないのである。

だからといってBE:FIRSTが主体を私たちファン完全に明け渡している、という感じもしない。隷属もしてない。それは過度のパーソナリティ消費に陥らせないようなBE:FIRSTの「比較的少ない」コンテンツ提供の姿勢を見ていて思う。BMSGの会員組織でSKY-HIから発信される「アーティストファースト」悪く言えばファンは二の次な姿勢を私が刷り込まれてるからそう感じるのかもしれない。

アーティストのためにファンがいるだけではなく、その逆でもない。ファンとアーティストの相互作用で場が成り立つ。さまざまな選択肢の中からBE:FIRSTであることと、BE:FIRSTのファンであることを選んだ人たちが一緒になることで熱狂的なステージが生まれる。

自分たちはこの全身全霊のパフォーマンスを捧げるから、だからファンも自分たちに捧げてくれ。

不遜なまでの美しさと強さがある、シュントの「君のためのもの」というフレーズは、蠱惑的な共犯関係に私たちを誘う文句のようで、聴くたびに震えてしまう。