パノラマロジック

オタク怪文書

Sexy Zone「セクシーゾーン ライブツアー2022 ザ・アリーナ」8/11横浜アリーナの感想

5年ぶりのセクゾコンだった。

去年と一昨年は配信で見てて、それも大変に素晴らしかったけど、今回のセクゾコンの良さはそれ以上だった。

以下、かなり自分語りの含まれた感想を。

80年代コンセプトとSexy Zoneの相性

今回のコンサートは徹頭徹尾80年代へのノスタルジーがコンセプト。Sexy Zoneってデビューの時に「薔薇を背負ったどこか昭和の匂いのするジャニーズアイドル」だったわけで、彼らの歩みと「2020年代から見た80年代ノスタルジー」がマッチしないわけない。

楽曲から、グッズのアートワーク、転換の時に流れるおふざけ映像とおふざけ演出、旧曲のアレンジ変えた挟み込みなど、どれもぴったりとコンセプトにハマり、一貫性があって素晴らしかった。このコンセプトができる2020年代が来て良かった。ようやくセクゾの時代が来た感じがする。

勝利くんの欠席は寂しくて、バックもついておらず3人だけで横アリのコンサートをやるってなかなかチャレンジングだな…と思ったけど、蓋を開けて見れば勝利くんの不在をパワーダウンに直結させないステージで本当に満足感が高かった。

不真面目なオタクなので、ぶっちゃけ知らない曲がたくさんあった。セットリストには「ザ・ハイライト」だけではない選曲がかなり盛り込まれていたらしく、セクゾってめっちゃ「音楽ファースト」なグループなんだなと思った。(「音楽ファースト」…その言葉、どこかで聞いたような…)かっこいい曲と、それを乗りこなすだけの技量がやっぱりあるグループだと思う。

中島健人くんは生きることを肯定するよな

幸運にも花道の先端から数列のところで見たのですが、久々に間近でみた中島健人くんは一挙手一投足に見られる人間としての緊張感があって、神々しいほどに美しくて、喩えていえばヌルヌル動く仏像みたいな。そんな感じでした。

10代とか、二十歳そこそこの健人君の印象は、その時も気高い感じがあったけどまだ子供だった。無邪気さがなせる光を纏ってた感じ。今の健人君は、その頃から持ってた自分の武器を研ぎ澄ませて研ぎ澄ませてめちゃくちゃ強くなった、みたいな印象がある。弛まぬ自己研鑽の積み重ねを感じる。

強くなることを恐れないし自分の望みを叶えることも恐れない。生きてるとそれだけで辛いことや理不尽なこともあるけど、それでも自分で舵をとっていって生きていく姿を見せてくれている気がする。

なんか熱に浮かされたオタクの妄言感がすごいのですが、本当にそう思えてしまう。

「RUN」がもつ止まらないことの不条理

「Forever Gold」の、"若かったあの頃に懐かしく思いを馳せる"歌詞に、自分とセクゾの距離感がオーバーラップしてしまい聴きながら泣いてしまった。

頑張ってセクゾ担をやってた頃、楽しいこともたくさんあったけど今思えば痛々しいこともやってたし、あの頃のセクゾの運営方針が嫌いだったり、普通にファンサのもらえなさに病んだりと色々と疲弊することも多かった。今はセクゾ以外にも好きなことがたくさんあり、守るべき生活もあって、その時間の移り変わりに泣いた。

その上で有無を言わさず楽しい「Let's Music」でなぜかさらに泣いてしまい、とどめの「RUN」で涙が止まらなくなっちゃった。

「RUN」は コンサートで見るたび毎回泣くので「いやいや、止まらないんでしょ?もうわかってるって」と思ったけどやっぱり彼らの口から「とっまらっないで〜」と歌われるとやっぱり泣いてしまう。

この曲だけはザ・ハイライトのコンセプトから少しだけ外れているように聞こえて、それでも選曲されているところに、いかにグループがこの曲を大事にしているか伺える。

「止まらないで止まらないでよ」っていうのはある意味呪いの言葉のようにも思える。

この曲を大切にすることで、セクゾは当面何があっても歩みを止められなくなってしまっていて、あえて悪い言い方をすればグループに5人を縛り付けていると感じた。

櫻井翔くんが「ステージ上終身雇用」と歌ったのも今は昔で、ジャニーズアイドルですら別の道を歩きだすことも珍しくなくなった。私も昔は「ジャニーズの、特にバレーユニは重い十字架を背負わされし者…」とか思っていたけど、当たり前だけどそういうしきたりも契約もないし、別に嫌になったらいつ事務所をやめて別の人生を模索してもいいと思う。

一人の人間としてはそれくらいのエゴを持って自分の幸せとかを大事にしてほしいなと思う。…でもオタクのエゴとしてはマリウスには帰ってきて欲しいし「RUN」の歌詞の通り歩みを止めることないセクゾの姿が見たい。

花道で歌う中島健人くんの姿を見ていると、なんという不条理の中を生きている人なのだろうと思えてきた。

開演前に、勝利くんの不在を3人がステージでファンに伝えた時にも感じた。

風磨君は「誰が悪いわけでもないけど、勝利のうちわを持って寂しそうなファンを見かけたら、ごめんなさいという気持ちが湧いてきてしまった」という旨の発言をして謝罪の言葉を口にした。そこでファンの拍手はまばらだった。その謝意は受け取れないよ、だって本当に誰が悪いわけでもないのだから。

でも素朴にそんな気持ちを持ってしまうところに、彼らが生きている不条理と、愛しさを感じてしまった。

アイドルとかアーティストとかがどうでも良くなった時代のアイドル

アイドルは「技術の巧拙を凌駕した魅力」「未熟さを愛でる」「与えられたものを演じきり役割をこなす」一方で、アーティストは「自立していて、エゴがあって、やりたいことをやる、ついでに芸術性が高い」……というアイドル/アーティストの二元論は古いものになってきた。

ボーイズグループしか見てないのでその話しかできないが、自作自演も珍しくないし、MVを見ているとやっぱりダンスの技術がすごいグループに注目は集まる。

また、私もかつては「アイドル」=与えられた役割を全うする職人みたいな見方をしていたが、その考えからはもう距離を取りたいと思っていた。「アイドル」にはどこか滅私を期待してしまう側面があるからだ。アイドルをやってる人はもっと人間として野心的でいい。

今回のセクゾコンに関して言えば「アイドルは音楽は二の次」という雑な偏見を跳ね除けるほど、「Let's Music」という曲があるように、様々なエンタメを見聞きし演じてきた彼らの矜恃が伺える、シンプルにかっこいいステージだった。その面ではセクゾも十分に野心的だと言える。

ただ、かっこいいだけではなく、見に来た人を誰一人取り残さないステージだったし、MCの言葉からは絶対にファンに寄り添おうとする気持ちが感じられた。ファンに支えられたからこそ、ファンを大事にする姿勢。

普通に生きてきたらその気持ちってなんなの?と思うんだけど、彼らの中ではそれがすごく強固なのかもしれない。聡くんがファンに向かって言った「僕の人生に関わってくれてありがとう」という言葉の重さにもそれが滲んでる。

ジャニーズという特殊な環境で長年研鑽を積んできたからこそ生み出せるものがあると思った。

なので久々に「アイドルとしての職能」という、自分でもなんだそれ?という言葉を久しぶりに信じてしまった夜だった。