パノラマロジック

オタク怪文書

Maison book girlの活動終了に寄せて

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一番すきなブクガ特典会動画のキャプチャ

唐突な自分語りで申し訳ないけど、10代の頃からずっと何かのファンだった。

しかし何かのファンであること、それを名乗ることに苦しさを感じる自分もずっとあって、最近ようやく「推しがいる生活」が向いてないことに気づいたところだった。

だから、5/30の舞浜アンフィシアターの公演でMaison book girlが活動終了したことで、執着するものがひとつ減って、ほっとしている。

ずっと何かにまじめに執着しつづけるのはしんどい。常に自分の思う通りに推しは動かないし。調子いい時もあれば悪い時もあるし。お金も時間も無限じゃないし。あと、わたしはたぶん飽きが早いしなにかと面倒くさがりなんだと思う。

そもそも、Maison book girlのことはこんなに好きになるはずではなかった。

Maison book girlとこれまでの話

一番最初にブクガを見たのは、今はなき綱島温泉でやっていた湯会でのこと。サクライさんがやってる新しいアイドルグループを見てみたいな、という動機からだった。

 二度目に見たのもたぶん湯会。

この頃の印象は、実をいうとあんまり良くなくて「サクライさんがやってる新しいアイドルグループを見たぞ」としか言えなかった。

このあとSolitude HOTEL1Fも見に行ったんだけど、やっぱり印象は更新されず、しばらくブクガのことは忘れていた。ただ、新加入したメガネの女の子はかわいいなと思ったのでフォローしていた。

そんなブクガの見方が変わったのは2017年の、赤坂で見たSolitude HOTEL 3Fがきっかけだった。

 「end of Summer Dream」がそれまでのサクライさんの楽曲のイメージから逸脱していたのと、「townscape」で輪になって踊る4人がとてもきれいだったからだ。

www.youtube.com

それからどんどん行く現場の数が増えていった。

それでも、当時はメンバーやグループへの愛着よりも「現場を増やす」、「チェキを撮りにいく」こと自体に楽しさを覚えていた気がする。同じCDをたくさん買って何になるんだと、自分でも思っていたけど、一見無益なところに楽しみを見出してお金を出すことの楽しさったらない。

ある種の暇つぶし。だけど、そうやって現場を重ねるたびに、自然とメンバーとグループへの愛着がうまれていった。

それだけじゃない、ワンマンライブであるSolitude HOTELが回を重ねるごとに洗練され、曲を出すたびに新しい魅力が更新されていき、気づいたときにはブクガが自分の中で大きな存在になっていた。

いつもの自分なら、ライブを何度も見ていくうちにどこかで「つまんないな」と飽きがくるところだ。けど、ブクガの楽曲とワンマンライブは常に驚きがあって、つまんないと思う暇を与えてくれなかった。

ブクガの楽曲とライブには常に不穏さと不可解がつきまとう。時には暗がりの中で4人は歌い踊るし、突如暗転したあとに耳をつんざくような謎のノイズが会場を埋め尽くすこともある。それはホラーのようでもあったし、彼女たちが表現しようとしていたのは、あくまでも内面に深く深く潜りこむような閉じた世界だったように思う。

でもブクガ自体は閉じた存在ではなかった。楽曲の世界観からして、彼女たちに歌唱力もダンスも必要ないと、昔は失礼ながら思っていた。しかし、楽曲の魅力に負けずメンバーの歌声がリリースを追うごとに進化していき、無機質だった少女の声が、肉感的な人間の歌声になっていった。くわえて最初のころはどこかお遊戯のようだった振り付けが、じょじょにコンテンポラリーダンスのようになっていき、洗練されていったところも、目を離せなかった理由だ。

現場の思い出

もともと顔見知りだった人以外、私はブクガの現場では知り合いはいなかった。けど、なぜかブクガ現場は「現場」としては落ち着くところだなと思っていた。

一方的に顔だけ知ってるオタクが何人もいて、なんかその人たちの顔を見ると落ち着く感覚があった。あと、スタッフのナカヤさんの仕切るチェキ列は個人的に緊張感が常にあったけど、ところどころで「そんなに怖くない…意外と優しい…」と思える瞬間もあった。

最初で最後の札幌遠征で、ブクガTシャツを着ていたらオタクに話しかけられたことがあった。遠征で同じ飛行機の乗客にオタクを見つけることは珍しくないだろうから、特に話しかけたりしないと思うけど、ブクガのオタクっていい人が多いのかもしれない、とこの時思った。

あと、エコムスデパートの配信で、子供が生まれたことをチャットで報告したら和田ゆいだけでなく、チャット全体でお祝いしてくれたこともすごく嬉しかった。オタク、あたたかいな…と思った。

 

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(そしてこの件にかんしてはかぎささんに大きな感謝を…。いつか現場でご挨拶させてくださいってやりとりしたのに、叶わなくてすみません)

ブクガ目当てで見に行ったことで「あの時見れてよかった」と思った人もたくさんいた。鎮座DOPENESSとかボンジュール鈴木King Gnuとか、長谷川白紙、諭吉佳作/menが見られたのは良かったな。

2021年5月30日を迎えるまでの話

出す曲はどれも素晴らしく、ライブはどれも楽しくて、そんなに好きになる予定じゃなかったブクガに、気づいたらすっかりのめりこんでいた。

しかし、大好きなことを自覚すると同時に、居心地のわるい執着心が頭をもたげてくる。やっぱり推しがいる生活に向いていない。常にブクガが最優先にできない自分に対する情けなさにじわじわと蝕まれる。

それでも、曲を聞いたりライブに行ったりするたびに、やっぱりブクガが最高だな…という気持ちに満たされて、自分は自分の距離感でブクガを追えればいいやと満足する。もう少しのところで楽しくなくなってしまいそうなところ、本当にブクガにはライブと楽曲の満足感で支えられた。気づいたらこれまでで一番、ファンでいることが楽しくなっていた。

そんな矢先に、妊娠が発覚し、体調のためにさまざまなライブを見送ることになり、さらにコロナ禍が始まった。

乳飲み子もいるわ世は緊急事態宣言だわで、外出もままならない。もはや自宅に幽閉されている感覚に陥っていた中、唯一の外との接点だったベランダで、子供をあやしながらイヤホンでブクガの曲を聞いていた。たった1〜2年前なのに遠い昔に感じる、あの日々に思いを馳せた。

 会社帰りに青山一丁目で降りて、月見ル君想フ(ブクガ定期公演のライブハウス)に向かったこと。もう何度この曲聴くんだよ…と思いながらリリイベに通った日々。21時をまわってクタクタでチェキ列に並んで、和田輪の顔を見て話すのは他愛のない内容だったけど、そういうどうでもいい日常が、振り返れば楽しかった。いつかあの日に帰ろう、帰れないかもしれなけど、帰ろうと思っていた。

そうしてコロナは収束せず、ブクガの新曲はリリースされないまま1年近くが経ち、2021年5月30日の、階数表示のないSolitude HOTELの開催が発表された。404の数字と、カウントダウンとともに崩壊していく公式サイトはたしかに終わりを予感させた。

終わりかもしれない。行く予定だった神奈川に、追加して名古屋のチケットもおさえた。しかし、体調が悪かったり、コロナが怖くてあっけなく行くのを諦めた。

昔は、なんとか無理して、無茶して、何かを犠牲にしてでもライブに行くのが当たり前だと思っていたけど、そういう距離感の取り方はもうやめようと思っていたので、決めたのは自然な流れだった。

ただ、その時はどこかで「ここで終わりになんてしないんじゃないか?」とも思っていた。だって、どうしても来られない人もいる中で、終わりにしてしまうなんていくらなんでもないでしょう、と考えていた。

2021年5月30日のこと

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終わりだというのを信じきれないまま、幕張アンフィシアターの座席につく。公式サイトでやってたように、ステージにもカウントダウンの掲示板でもあるんだろうと思っていたら、何もないまっさらなステージだった。それが突如暗転して、爆音の「last scene」が鳴り響く。

「sin morning」から始まり、淡々とつづく4人のステージは、絶妙なライティングにより現実感のない映像的な美しさがあった。やけにこもった大きな音と薄暗いステージだなと思っていたら、本当にそれは映像だったらしく、ステージ奥の4人がモザイクの向こう側にいってしまうと、前方の円形ステージからうずくまった真っ白な衣装の4人がせりあがる。

起き上がった生身の彼女たちが披露した「海辺にて」は、今までで一番美しかった。ひらひらと翻る唯ちゃんのスカートがとても印象的で、コショージのダイナミックな動きにいつも視線を奪われて。ブクガの身体表現の美しさはここまで高められていたのかと目をみはるほどだった。

大好きな「townscape」も圧巻だった。円になって踊る曲とアンフィシアターの円形ステージは相性がとてもよく、そう、こんなステージが見たかったのだと思わせた。最後、いつもは観客を振り向くような振り付けのところ、今日の彼女たちの視線の先には、過去の衣装を身にまとった4人(のダンサー)がいて、まるで過去の自分たちと対峙しているかのようだった。過去の曲をこうした新しい解釈で提示していくところは、本当にブクガのライブの醍醐味だと思う。

Maison book girlのロゴ入りの白い衣装をまとって、白いステージで歌い踊るブクガにはむき出しのプレーンな魅力があった。特に素晴らしかったのは、ハンドクラップ音だけでアカペラで歌ってみせた「夢」だ。初期のブクガにはサクライさんの奇抜な楽曲への評が先行するあまりに、どこか傀儡のようなイメージがつきまとっていたように思う。歌声がまるで添え物みたいな。しかし、もう楽曲がなくてもブクガはブクガとして美しいのだった。矢川さんと和田の歌声の伸びやかさが際立っていた。よくもまあ、違う歌声の魅力を持った人たちが集まったものだと思う。

「snow irony」は、いつもライブでブクガ特有の「コールがない」緊張感を破る存在として使われている。この公演でもやっぱりステージと客席の一体感が生まれて盛り上がったが、いつもならこの曲はどこかでメンバーも緊張感をゆるめるところなのに、この日はそれまでの演劇的な緊張感を持ったままで、熱がこもった「snow irony」をやってみせた。いつも、ブクガの演劇的なライブと、客席との一体感を煽るような「snow irony」などの楽曲の盛り上がりはどうも水と油感がつきまとうなと思っていたけれど、ここに来てそれが一番融合した完成形を見た。

どの曲を見ても、これ以上ないほど素晴らしくて、ここで終わりにしてほしくないとも思ったけど、同時に、ここで終わりにしてほしいとも思っていた。

考えてみればSH4Fの頃からずっと、ブクガは過去の自分たちを解体する作業をしてきたように思う。過去を解体し続ければ、未来なんて望むべくもない。ちょうど熱心にブクガを見始めた頃から、すでにこの日を迎える準備をしていたのかもしれない。

最後の「bath room」を歌う頃に、彼女たちの白いシャツにあったMaison book girlのロゴはなくなっていた。「bath room」も、イントロは同じでも歌詞もメロディも異なっていて、私たちが知っている曲ではなかった。

2014年11月に「サクライケンタがやる新しいアイドルグループ」が発表された時、一緒に発売された白いシャツがみょうにかわいく思えたので、衝動的に私はそのシャツを買った。どんなグループか、全然わからなかった頃のこと。ロゴ入りの白いシャツだ。あれから全然着ていなくて、一度は売ろうと思ったこともあったけど、売れないだろうなと勝手に思ってずっと手元にとっておいた。

一度だけ、現場に着ていったことはあったけど、それ以来ずっとしまっていた。ブクガにもしものことがあったときに着ていこうと思って奥にしまっておいたことを、私はこの日のステージが始まってやっと思い出した。そして、今はあのシャツがどこにしまわれているかわからなくなっていたことに急に焦り始めた。だから、4人が着ている白いシャツを見るたびに、あのシャツの行方がわからないまま、この日が最後になるかもしれないことにとても焦っていた。

しかし、最後に知らない曲をやった彼女たちのシャツにMaison book girlのロゴはなくて、なんだかほっとしてしまった。

彼女たちが一番潔く手放したその名前を、自分も手放すべきだと思った。

終わりになるなら、今日が一番ふさわしい。一番好きな姿のままで、目の前からいなくなってほしいと思った。

爆音の「last scene」で始まりへループするように、ステージが終了する。茫然自失のまま、ぱらぱらと力なく拍手し、アナウンスにしたがって退場した。帰りの出口で配られた紙に公式サイトのURLが書かれており、アクセスすると、そこには予告どおり何もなく、Maison book girlは削除されていた。

この時まで、やっぱり完全には終わりを信じていなかった。だけど、TwitterのTLに流れてきたナタリーの「Maison book girl活動終了」の文字で、ああ、本当に終わったんだなと思った。美しい終わり方だったけど、いつか戻れるとひそかに思っていた過去には、やっぱり戻れないということを思い知らされて少し泣いた。

終わりに

ブクガが終わったら4人はどうするんだろうと、考えたことがある。できれば和田輪にはもっと歌う姿を見せてほしい。矢川さんは80年代歌謡に振り切ったソロアイドルとして活動してほしい…なんて思っていた。でも、こうして終わりが現実になってしまうと、そうした妄想もなんだか傲慢なことのように思えてくる。

ブクガをやってた4人の子たちの、この先の人生が素晴らしく充実したものであればいいなと思う。

正直いって、amazonの特典トークイベントはなんだかんだ一度も行けなかったし、遠征は一度だけ。行ってないライブもめちゃくちゃある。買ったまま開封してない特典とかもあるよ、正直。ハタから見たらそんなに熱心なオタクじゃなかったけど、ブクガに関してはいいことしか思い出せなくて、いつも楽曲と4人の魅力に前向きな力をもらっていた。結局最後まで、無理しない距離感を保ったまま、ブクガを大好きでいることができた。いつも好きな対象に勝手に失望したり嫌いになったり疲れたりしてフェードアウトしていたので、こんなに清々しい終わり方は初めてだ。(裏を返せば、大好きなまま推しが消えたのは初めてだったが)

私にとっては約5年間、楽しい時間をありがとうございました。

 

コショージが2019年のライブで「ブクガはみんなの影」だと話していた。Maison book girlの世界観で見せてくれた雨のふる海や工場の景色は、行ったことすらないのになぜか懐かしくて、ブクガを聴いているときだけは、自分以外に誰も見たことない、認識できない世界みたいなものが見えるような気がしていた。

誰にも邪魔されない場所で寄り添ってくれる存在が、ブクガの曲だったように思う。

だからMaison book girlが消えても、この先、ことあるごとに曲を聴いて、その世界の存在を思い出すのだと思う。